■ギリシャ神話におけるアーモンド
■アーモンドの木になったフィリスとデモフォン

フィリスとデモフォン
アテナイの王子、怪物ミノタウロスを退治した事で国民的英雄であるテセウスの息子デモフォンが乗った船が難破し、トラキアの海岸に流れつきました。その時、トラキアの王女フィリスに助けられ二人は、愛し合うようになり、いつしか結婚を誓う仲になったのです。

そんなある日、フィリスの父、トラキアのシトン王に修理を頼んでおいたデモフォンの船が直り、デモフォンは、故郷のトロイに戻りたくなり、その旨をフィリスに伝えます。フィリスは、トラキアにすぐに戻ってくるならと承諾し、ディフォンは、故郷に戻りました。しかし、デモフォンは故郷で美しい娘に出会い、フィリスとの約束を忘れてしまうぐらいその娘に夢中になってしまったのです。

そのことを知らないフィリスは毎日海岸に立ってデモフォンの船が戻ってくるのをずっと待ち続けていました。やがていつまでたっても帰ってこないデモフォンに思い焦がれ、悲しみにくれたフィリスはとうとう重い病気かかり死んでしまいました。このフィリスの様子を見ていた貞操の女神アルテミスは、一途に恋人を待ち続けたフィリスを哀れに思い、その亡骸をアーモンドの木に変えました。
やがてデモフォンはフィリスのことを思い出し、トラキアを再び訪れました。デモフォンは、フュリスが自分を待ち続けて死んでしまっており、アーモンドの木に変えられたことを知って、そのアーモンドの木のところへ行き、後悔の涙を流しながらその木を抱きしめました。アーモンドの木となったフィリスはデモフォンが戻ってきたことを喜んでピンクの美しい花を満開に咲かせました。すると、デモフォン自身もアーモンドの木の芽や葉に変身し、ようやく二人は、一体となりました。こうした事からギリシア神話においてアーモンドは願いがかなう事、希望の象徴とされています。


■キュベレ崇拝とアーモンド

後にキュベレ(Cybele、またはKybele)と同一視される事となるアグディスティスはフリュギア(現在のトルコ)で昼寝をしているゼウスの精液から産まれたと伝えられています。そのキュベレ(アグディスティス)の両性具有を怪しんだ神々はキュベレを去勢し女性にしてしまいます。その切り取られた男根から熟した実をつけたアーモンドの木が生えたといわれています。
そのアーモンドの木のもとへ河の神サングリアスの娘ナナがやってきてその実を採って懐にいれたとたん、アーモンドの実が消え失せ、間もなくナナは身ごもりアッティスが産まれました。
ナナは得体の知れないこの子供を恐れて山に捨ててしまいますが、雌山羊が子供を育ててくれ、やがてアッティスは美しい少年に成長しました。 そして偶然出会ったある意味では母ともいうべき、キュベレと恋に落ちてしまいます。そして2人は永遠の愛の誓いをたてました。
しかしアッティスは永遠の愛を誓ったにも関わらず、ペッシヌース国王の娘と結婚しようとしました。 その結婚式の最中にキュベレが乱入したため、 アッティスは気が触れ、自分自身の体を切り裂き死んでしまいます。アッティスの心より美しい容姿を愛したキュベレは、その体が永久に腐らないようにゼウスに頼み、松の木にかえてもらったといいます。
生殖器から生まれる逸話はギリシャ物語ではアフロディテの生誕にもみられますが、この神話においてはアーモンドは子供を象徴するものであるともいわれています。又、アッティスはアーモンドの実により生を受け、死んだ後は松の木となった事から植物の精霊ともいわれています。

解説)後の時代のキュベレ崇拝の原型としてこの女神はアナトリアでは新石器時代から崇拝されていた大地母神の系譜を引いていると考えられており、メソポタミアではイシュタル、シュメールではイナンナ、カナンではアシュタルテと地域により様々な神話に登場します。一方、ギリシャ神話に取り込まれるキュベレ/アグディスティス女神信仰は紀元前8世紀頃からフリュギア(現在のトルコ)に存在していたといわれています。ガイアーやクレタ島での対応女神レアーとも同一視されており、紀元前5?6世紀にはギリシアではキュベレは肥沃な大地、谷や山、壁や砦、自然、野生動物(特にライオンと蜂)を象徴する神として崇拝されていました。やがて古代ローマにも信仰が広がった大地母神でローマ時代にはアーモンドの実がおこした奇跡により生まれた救世主としてキリスト教に大きな影響を与える事となります。

アンカラ西部のキュベレを祀った
フリュギア遺跡


マドリッドのチベレ公園、キュベレ像


■アーモンドから奇跡的に誕生した処女神ナナの息子アッティス崇拝

紀元前204年に神々の太母であるキュベレとその愛人であり、息子でもあるアッティスがローマに伝わったといわれています。この2神はその後600年もバチカン丘の神殿に祀られる事となります。古代ローマではアッティスはキュベレのこの世の化身である処女神ナナがアーモンドの実を懐にいれた事から奇跡的に生まれた息子であるため「父親のいない神」、つまり処女神の息子と考えられていました。アッティスは成人すると、人類を救済するために殺されて、供儀のために生贄となり、救世主となり、その肉体はパンとして崇拝者たちが食べたといわれています。その後、アッティスは「宇宙を統一する最高神」として復活したことからアッティスは去勢され、松の木に十字架刑にされました。


■アッティスの生誕と復活の日はイエス・キリストの生誕と復活の日へ
このアッティスの受難は3月25日とされ、それはアッティスが生誕した冬至の祭典日である12月25日のちょうど9か月前の日でした。アッティスが死んだ時刻は、また、彼が懐胎された時刻、あるいは再び懐胎された時刻でもありました。当時のキリスト教徒は彼らの救世主の懐胎と生誕の日がアッティスの日と同じ日であるとし、最終的にはローマ人にとってなじみ深いアッティスが生贄となった日をキリストの懐妊と生誕日へと置き換えていったといわれています。やがて東ローマ帝国のユスティニアヌス一世が、この3月25日をお告げの祝日/イエス懐胎の日に制定し、アッティス同様9か月後の冬至の日はイエス・キリストの生誕の日となり、受難の日の3日後が復活の日となりました。

この様にアーモンドはギリシア神話の文化圏の中で、希望、あるいは子供の誕生を象徴するだけではなく、石器時代に端を発するキュベレ信仰を通じて、ローマ時代にはアーモンドから奇跡的に誕生した処女神ナナの息子アッティス崇拝へと昇華し、最終的にはキリスト教が国教となる過程で非常に重要な役割を果たしてきたのです。


※ローマ時代のアッティス崇拝がいかなるものであったかは以下のガイユス・ワレリウス・カトゥルスの長編詩『アッティス』に表されています。
■ガイユス・ワレリウス・カトゥルスの長編詩『アッティス』(中山恒夫訳)