■旧約聖書におけるアーモンド
旧約聖書においてアーモンドは創世記、出エジプト記、民数記の3記、伝道者の書、エレミア書の2つの伝道書に合計9節の出典がみられますが、その象徴する所は多様で、豊かさ(多産)、神の祝福(約束、あるいは奇跡)、価値ある贈り物、神へ捧げる聖なる燭台、神の復活、目覚め(再生/春の訪れ)、神が見張っている事(神の目)と非常に宗教的には重要な要素を象徴しています。
1)創世記30章37節: 豊かさ(多産)や神の祝福を約束するものを象徴
ヤコブは、ポプラとアーモンドとすずかけの木の若枝を取って来て、皮をはぎ、枝に白い木肌の縞を作った。
長年ラバンにつかえたヤコブは独立するために、ラバンと契約を結びました。ラバンが幾度も報酬条件を変えたのにもかかわらず、ポプラやアーモンドの若枝を用いて、羊や山羊の群れにさかりがつくように知恵を働かせた結果、多くの家畜に恵まれ、ヤコブは大いに富むようになりました。神様は約束どおりヤコブを祝福してくれた事から、この章でのアーモンドは豊かさ、多産、あるいは神の祝福を約束する事を象徴します。
2)創世記43章11節:価値あるものを象徴
父イスラエルは息子たちに言った。「どうしてもそうしなければならないのなら、こうしなさい。この土地の名産の品を袋に入れて、その人への贈り物として持って行くのだ。乳香と蜜を少し、樹脂と没薬、ピスタチオやアーモンドの実。
かつて異母兄弟たち12人の中で、父イスラエルの愛妻ラケルの年寄り子として生まれたヨセフは、兄弟達にエジプトに売られてしまいますが、ファラオに気に入られエジプトで宰相にまで登り詰めます。カナンの地が度々飢餓の襲われ食糧を求めにきた兄弟達に、何とか愛する同腹の弟ベニヤミンに会いたくて、無理難題を言いつけます。ヨセフが出した難問に対し、父イスラエルが囚われの身となっている息子ベニヤミンを釈放してもらう為に指示した最高に価値ある贈り物の1つとしてアーモンドが示されています。
3)出エジプト記25章33節/出エジプト記25章34節
出エジプト記37章19節/出エジプト記37章19節:神の復活の象徴
33節: 一本の支柱には三つのアーモンドの花の形をした萼と節と花弁を付け、もう一本の支柱にも三つのアーモンドの花の形をした萼と節と花弁を付ける。燭台から分かれて出ている六本の支柱を同じように作る。
34節: 燭台の主柱には四つのアーモンドの花の形をした萼と節と花弁を付ける。
19節: 一本の支柱にはアーモンドの形をした萼と節と花弁を付け、もう一本の支柱にも三つのアーモンドの花の形をした萼と節と花弁を付けた。燭台から分かれ出ている六本の支柱を同じように作った。
20節: 燭台の主柱には四つのアーモンドの花の形をした萼と節と花弁を付けた。
メノラー
主はモーセにイスラエルの人々が神のための祈る聖なる場所を造る様に命じ、六本の支柱にアーモンドの花の形をした萼と節と花弁を付けた燭台を純金でつくらせました。この様に古代イスラエルの時代より礼拝所である幕屋の聖所にある純金の燭台にはアーモンドの花を装飾に使う事が決まり事となっており、この燭台はメノラーと呼ばれています。このアーモンドの七枝で作られる燭台の七は、イスラエルの民にとって完全数を表しでおり、燭台に灯される光は完全な光、即ち神そのものであることを意味します。そしてその燭台に装飾されたアーモンドの花は「復活の表象」とされています。
4)民数記17章 (21-)23節:神の祝福(奇跡)を象徴
出エジプト記37章19節/出エジプト記37章19節:神の復活の象徴
21節:モーセがイスラエルの人々に告げると、指導者は皆、部族ごとに、父祖の家ごとに、指導者一人に一本ずつ、合計十二本の杖を彼に渡した。アロンの杖もその中にあった。
22節:モーセはそれを掟の幕屋の主の御前に置いた。
23節:明くる日、モーセが掟の幕屋に入って行き、見ると、レビの家のアロンの杖が芽を吹き、つぼみを付け、花を咲かせ、アーモンドの実を結んでいた。
エジプトから開放されたイスラエルの人々は、モーセとその兄アロンの指導のもと荒野へ脱出を図りましたが、その旅は苦難に満ちていた為12部族の間で、祭司アロンに対する不平不満が起こりました。モーセは人々に神託を与え、アロンの杖も含め、部族ごとの杖を掟の幕屋の主の御前に置き、神の判断を仰ぎました。明くる日、レビ家のアロンの杖だけが芽を吹き、つぼみを付け、花を咲かせ、アーモンドの実を結んでいた事から 神が特にアロンの杖を選び祝福したのだとして、ここに祭司は各部族より優位に立つことが示されました。ここでもアーモンドは神の祝福(奇跡)の象徴とされています。
5)伝道者の書12章 5節:白髪(老い)を象徴
彼らはまた高い所を恐れ、道でおびえる。アーモンドの花は咲き、いなごはのろのろ歩き、ふうちょうぼくは花を開く。だが、人は永遠の家へと歩いて行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。
伝道者の書では人生には必ず老年の日々、即ち「わざわいの日」や死が訪れるという厳しく、空しい現実が待っている事から若い内から創造者(神)を覚えよと忠告し、慰めの道があることを示しています。この節での「アーモンドの花」は人生の老いを意味する白髪を表わしていると言われます。
6)エレミヤ書 1章(10)-11節:目覚め(再生)と神が見張っている事を象徴
10節: 見よ。わたしは、きょう、あなたを諸国の民と王国の上に任命し、あるいは引き抜き、あるいは引き倒し、あるいは滅ぼし、あるいはこわし、あるいは建て、また植えさせる。」
11節:次のような主のことばが私にあった。「エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」そこで私は言った。「アーモンドの枝を見ています。」
12節:すると主は私に仰せられた。「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。」
エレミヤが預言者の自覚を抱き始めてから一番心を痛めたことはユダの民の宗教的腐敗でした。思い悩んでいたエレミヤへの神の啓示がアーモンドの枝で「アーモンド(ヘブライ語のシャーケード)」は「目覚める、見張る(ショーケード)」が原語でイスラエルでは春一番に咲く「目覚めの木」と呼ばれています。神はアーモンドの花のように目覚めており、春の目覚め(復活や再生を象徴)を知らせる木のように民を見張っている事(神の目)を表しています。